百舌鳥の早贄

年1ぐらいでダラダラと

令和元年、無職元年

これはなに

無職エントリというやつです。

平成の終わりごろに無職になった記念。

元号変わる頃にも無職だとつらいので、新元号までに仕事を得るRTAをやります。

 

 

なぜ無職になったのか

2019年3月下旬に、働いていた某外資系IT企業を退職しました。

2019年の1月に転職で入社して、それなりなお給料も貰いながら働いていました。

退職理由は私自身の体調不良で、試用期間中だったために休職することが難しく、無理して仕事に復帰するか、休暇を消化して退職するかの選択肢しかなかったため、体調を優先するために退職しました。

無職になった今、仕事から離れて少しずつ体調は落ち着いてきていますが、薬をキメながら体力と気力を回復させる毎日です。

 

体調不良 is

退職した主な原因はうつ病です。

何度か通院して、医師から発達障害と診断されて、うつ病はその2次障害によるものと診断されました。

過去にも豆腐メンタルをこじらせて休職したことがあるので、まさかなーと思っていたところでした。

布団の中で身体が動かなくなったりしたのは初めてだったので、このまま死ぬんじゃないかと怖くなりました。

幸いにもフルリモートワークだったので、上司と調整してお昼から仕事をするようにしてみました。結局悪化する一方で、3月上旬ごろに診断書を貰って、有給を消化して退職となりました。

妻から「まず体調を優先してほしい。発達障害については自分にあった仕事が見つかるといいね。お金の問題は困ったらその時考えればいいから」と言ってもらえたこともあり、退職してちょっと休む・ゆっくり考えるという決断ができました。

 

無職になってどうしたか

まずTwitterFacebookで無職になったことを報告しました。

Facebookではすごく真剣に相談に乗ってくださる方がいて、色んな制度について教えてもらえましたし、Twitterには現役の無職のプロがいたので、アドバイスを伺うことができました。

無職のプロは博識で、いきなり図を貼ってくれたため、今後の見通しがわかりやすくなりました。

 

まず住宅確保給付金ってなんやそれって思いながら役所に行きました。

受付で担当課を聞いたのにエレベーター乗ってすぐ忘れてしまってウロウロして警備員さんに聞いて案内してもらうというイベントもあったりしながら、なんとか乗り越えました。

これで当面の家賃はなんとかなるはずですが、役所で無職になった旨を言ってしまったがために、次々と案内されてしまいました。

結局、国民健康保険に切り替えて、国民年金にも加入する手続きをしました。

この辺は、コミュニケーションが苦手な私は自分の意思を伝えることができないまま役所の人に言われる通り手続きをしてしまったので、前職の健康保険の任意継続で良かったんじゃないのかと後悔したりもしています。

次の課題はハローワークに行って失業給付の申請と職探しですが、ハローワークに行くのが怖くて行けてません。

今回は自己都合退職となるため、失業給付の開始に制限があるはずなので、その給付を待つぐらいなら開業届でも出してフリーでちょっとやったり、仕事見つけるとかして無理してでも働いたほうがいいかなーと思っているぐらいです。

 

今後の話

なんも決まってません。

医師からは4月末まで休んだほうがいいと言われていますが、仕事探しをするなとは言われていないので、ぼちぼち仕事を探します。

過去にやってきたことはTwitterのbioに書いてあります。

寿司か中華料理かラーメン屋に連れて行って貰えれば可能な範囲でベラベラ喋ります。

 

最後に

在職中は先輩方や上司には本当に良くしていただいて、可能なら続けていきたいなあと思っていた矢先でした。

以前の職場からお世話になっている先輩にも申し訳ない気持ちがありますが、こればかりは運が悪かったなと思ってます。

優秀な方々が多くて、技術的にも技術以外のスキルとしてもチャレンジできる仕事がたくさんあったのですが、私にはハードルが高かったなあと思ってます。

退職日に上司から「みんな本当に心配していたし、もずくさんは技術があるのでみんな残念がっていたよ」と言っていただけたので、それは本当に嬉しかったです。

 

メンタル系の体調不良は普段平気でも知らない間に擦り寄ってきたりするのでご自愛ください。

あと、お仕事ください。